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今はほとんど指さない将棋ファンです。角換りを中心に思うところを書いていきたいと思います。

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第72期名人戦第1局
4期連続で森内VS羽生の対決となった第72期名人戦。第1局は相掛りから後手の羽生三冠が長手数の末勝利をおさめた。
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行方八段,満を持してタイトル戦に登場。
王位戦が始まっている。羽生三冠に挑戦するのは,11勝1敗の好成績でA級に復帰するなど昨年から絶好調を維持している行方八段。39歳にしてタイトル初挑戦となる。

行方八段といえば,デビューから1年の94年に竜王戦で一気に挑戦者決定戦まで勝ちあがり,羽生(当時)五冠と3番勝負を戦い連敗で敗退するも,「大型新人」と騒がれてすぐにでもタイトル戦線に登場してくるものと期待されていた。しかし,95年に早指し新鋭戦優勝,将棋大賞の新人賞受賞,98年に42-12.778で勝率一位賞を受賞してからは,当初期待されたような活躍は影をひそめる。2007年にA級に上ったものの,僅か1勝しかできずに降級。このままB1の中堅棋士として定着してしまうのか…と思われた矢先の大活躍である。

行方八段絡みのエピソードは色々あるが,なんといっても四段昇段の際に抱負を聞かれて「羽生さんを倒して,いい女と寝たい」(正確ではないかもしれない)と発言し,世間の耳目を集めたことだろう。今日屋根裏に積み上げてある将棋世界のバックナンバーを出してきて93年~94年ころの行方(当時)四段の記事を探すが,正確な文言はわからなかった。
ただ,この発言はよほど注目を集めたに違いなく,プロデビュー早々,93年11月号の将棋世界で写真家の矩口勝弘氏の連載コーナー「素顔を拝見」に登場している。この記事で行方は鬱屈していた修業時代について彼独特の語り口でインタビューに答えている。この記事を読むと,先の「いい女…」発言も決して奇をてらったものではなく,19才の若者がもつ自負やプライドとそれと表裏一体のコンプレックスから出たものだとわかり,むしろその率直さが(50を超えたおじさんには)まぶしく思えるほどだ。
当時彼が意識していたのは,20代前半ですでに将棋界を席巻している(93年10月時点で五冠)羽生であり,それに続く佐藤康・森内である。羽生はA級1年目,森内・佐藤康はB2であった。

さきのインタビュー記事で行方は

将棋は命つめて指さないと意味がない。チャラチャラ,ダラダラ,そんなことやるんだったら死んだ方がいい。
メチャクチャ頑張りますよ。プロの第一局は棋聖戦ですが,来年は羽生先生を負かしてタイトル取りたいです。今はだれも羽生を俺がやっつけるという人がいなくなった。
四段になったからって,全然安心してないです。これから怖いです。とりあえず,今の三強とは大駒一枚違ってると思ってますからね。三強って分りますか。羽生,森内,佐藤康,あの57年組の三人。才能が違いすぎます。でも,あいつらは絶対倒さなければいけない。今までもそのつもりで勉強してきたんですから。
そしてタイトル取ったら,まずベンツを買って,それでいい女をエヘヘ,だからそれまでは,やっぱり童貞を大事に守りぬきます。

と語っている。

いかにも率直である。若者らしい気負いもむしろ微笑ましいくらいだ。この言葉を裏付けるがごとく翌94年,竜王戦で快進撃を続け,挑戦者決定3番勝負にまで突き進み「竜王戦ドリーム」と呼ばれる。しかし,羽生に0-2で敗れて挑戦はならなかったことは先に述べた。

その後,行方の持つ才能は時折きらめきを見せるものの当初期待されていたほどには花開かなかった。繊細さと目標の高さ,そして独特の感性から繰り出される言動が時折将棋界の話題にはなるが,それは本来期待された棋戦での活躍からくるものではなかった。そのことが本人にもふがいなかったに違いない。


それがなぜ変わったのか。

終盤力と悪くなった時の辛抱の良さが行方将棋の売りではあるが,将棋世界の最新8月号のインタビュー「行方尚史はなぜ変わったのか」を読んでいると,このところの好調さは,それに加えて自分の将棋を根本から見つめ直し,再構築をはかっていることから来ていることが窺える。

もちろん,そのきっかけは,twitterでつらね ‏@tsurane さんが6月14日につぶやいたことに尽きるだろう

しかし、今にしてみれば、「羽生さんに勝っていい女を抱きたい」ってのは順序が逆だったんだなあと。









第54期王位戦第1局は羽生三冠先手で角換り腰掛け銀の戦型に進み,7月10日(水)午後14時47分現在,39手目▲88王まで進んでいる。20年前に「絶対倒さなければいけない」と誓った相手が今目の前にいる。

“神々の黄昏”となるのか? ~第2回電王戦開幕
今日午前9時30分からいよいよ第2回電王戦の第1戦、(先手)阿部光四段ー習甦戦が開始される。
コンピュータソフトとプロ棋士が5対5で対決するというこの画期的な興行は、故米長前将棋連盟会長の遺産であり、出場する5人の棋士にとっては昨年敗れた前会長の弔い合戦と意気込んでいることだろう。

ニコニコ生放送で完全中継されることで、マスコミをはじめ従来の将棋ファンの枠を超えた注目を集めているのは、さすがアイデアマンだった米長前会長が心血を注いだだけのことはある、と感心する。とはいえ今現在の将棋ソフトの強さを考えるとあと1~2年早く行っておれば良かったのでは…と思わざるを得ない。

2007年3月21日に大和証券杯の特別企画で渡辺竜王とボナンザが対決した時、ボナンザの予想外の強さにその実力のほどがうかがえた。あれからちょうど6年が経過したが、この間プロ棋士との公式対決が行われなかった。これはもちろんプロの権威を保とうとする米長前会長が対局を禁止したからなのだが、その6年の間にコンピュータソフトの進化が加速度を増し、コンピュータソフト選手権で上位を占めるいくつかのソフトはもはやプロ並みの実力を持つと言われている。私が「1~2年早く行っておれば」と思ったのは、その時期であればコンピュータソフトに対してもプロがその実力を誇示できたのではないか、今の時点で5対5の対決を行えば、プロ棋士が負け越す可能性も相当あるのではないか、と危惧するからである。

私は古くからの将棋ファンで、もちろんプロ棋士は尊敬しているし、ファンとして将棋ソフトに負けてもらいたくないという気持ちも大いにある。しかし、彼我の状況を冷静に分析すると、今回はプロが負け越すのではないか、と予想している。2-3かひょっとして1-4もありうるのではないか(悲観的すぎるだろうか)。

仮にプロが負け越した場合、今後のプロ棋士の在り方、存在意義はどう変わってくるのか。今でさえ、タイトル戦の終盤戦では詰みのあるなしをソフトで解析するのがあたりまえになっているのに、将来は中盤の指し手ですら将棋ソフトの“正解”が幅を利かすようになってしまうのだろうか…。

現在の状況は、ちょうど19世紀に写真が大衆化した時代の西洋美術界と似ているのではないか。

ダゲレオタイプは、産業革命の頃の中産階級の肖像画が欲しいという需要に応えるため、1840年代のヨーロッパに熱狂的に広まった。この肖像画需要は、油彩画では生産の速度からして需要に応えきれず、写真技術の発展を後押しすることになった。(ウィキペディア「写真史」より抜粋)



絵具が発達し、絵画の教育システムが確立し、絵画が産業化していく一方で、1827年に写真が発明される。写真は瞬く間に改良されて、肖像写真として利用されるようになる。 正確に描写するだけなら、絵画より写真の方がはるかに正確で安価で納期が早い。写真が普及し始めると画家たちが職にあぶれるようになった。 また、瞬間をとらえた写真の映像は、当時の人々にとって全く新しい視覚であり、新たなインスピレーションを画家たちに与えることになった。(ウィキペディア「印象派」より抜粋)



それまで絵具で本物にそっくりの絵を描き上げる職人だった絵描きが、写真の発明によってその存在意義を問われる中で生まれてきたのが印象派をはじめとするモダンアートである。真実を写し取ることは写真にはかなわない、という現実を受け入れたうえで、画家は新しい表現を模索していき、写真では表現できない「油絵ならでは」の新しいアートを生み出していった。

コンピュータソフトに追われる中で、プロが将棋の“神”として崇められる時代の終焉がもうそこまできているのではないか。神々の黄昏の時代、プロ棋士が過酷な時代の変化にどう対応して行くのかを注目したい。











理想と現実のはざまで
1月5日にアップされた山崎七段の「たこやきノート」no40で、理想(人まねをせず創造性の高い将棋を指す)と現実(新手や新構想がなかなか結果にむすびつかない)のはざまでもがく棋士の苦悩が綴られている。

山崎七段と言えば、横歩取りにおける新旧山崎流をはじめとして、様々な新手・新構想を世に送り出している。例えば、昨年の竜王戦挑戦者決定戦第3局の丸山九段戦で39手目に指された▲56角(第1図)。

120911山﨑ー丸山1


次に△65銀とされると死んでしまうところに据えられた角・・・恐らく彼以外には到底思いつくことはできない構想である。一見無謀とも思えるが、これが実は手としては成立しているのだから、山崎七段の創造能力の高さ・先入観にとらわれない発想の豊かさには驚かざるを得ない。
この新構想で山崎七段は局面を優位に進めるが、49手目の▲83銀が失着となり形勢を悪化させ、その後も形勢を挽回できずに竜王への挑戦権を手にすることができなかった。

また、昨年12月20日に行われたB級1組順位戦・久保九段戦では、先手久保九段の四間飛車に居王のまま△25歩~△45歩~△35歩と位を取る驚きの構想で対抗。さらに22手目に△55歩と突き、序盤早々2~5筋の5段目に後手の歩が並ぶという珍形が出現した(有料コンテンツのため図面掲載は控えるが、名人戦棋譜速報に登録されている方はぜひこの将棋の22手目の局面を見ていただきたい)。私などは目がくらくらしそうだが、この作戦で後手の山崎七段は先手の王頭に拠点の歩を据えて優位に立つ。
しかし、中盤以降久保九段の指しまわしが巧妙を究め、この将棋を逆転されてしまう。もしこの局を勝っておけば双方ともに6勝3敗となり、昇級に望みをつなぐことができたのだが、なんとも痛い敗戦だった。

誰も思いつかない新構想を実戦で披露して優位に立つが、なかなか勝利に結びつかないーーー山崎七段の苦悩は想像するに余りある。



仮に棋士を大きく創造派(ロマンチスト)と現実派(リアリスト)に分けるとすると、例えば升田が前者、そして大山が後者となるだろうか(単純には言えないのは分かっているが、話を分かりやすくするために)。現役棋士で言えば、藤井九段などは創造派の代表格になろうか。一方の現実派を定義するのは難しいが、勝つ可能性が高い戦法を集中的に研究し実戦に投入する棋士…何年か前の丸山九段のイメージである。今発売中の将棋世界2月号での渡辺竜王のインタビューを読むと竜王も結構徹底したリアリストのように思える。

創造派の代表格である升田については、故・真部九段が名著『升田将棋の世界』において

升田型の棋士は大きな構想力をもって新手法を打ち出し、ぐいぐい局面を主導的に動かしていく。その勝ち方は真に鮮やかであり喝さいを浴びる。
 だがその半面、負けるときはちょっとしたケアレスミスで、これまで営々として作り上げた将棋を台無しにしてしまう。

 
と述べ、さらに東京女子大の林道義教授が囲碁棋士の深層心理を分析していることを紹介し、

 その説を拝借して将棋にあてはめると、升田型を着想型と分類し、着想型になぜ終盤のミスが多いかは、この型の人は「種を播く」ことは好きだが「刈り入れる」ことには興味がわかないという特徴を持っている。
 いろいろと素晴らしいアイデアを出すことには情熱を燃やすが、その果実を獲得することにはあまり興味を示さないと述べられている。
(中略)
 ただ、この型の人はそれを無理に直そうとして勝つことのみに専念したら、肝心の着想がわいてこなくなりかねないから、せいぜい終盤は気をつけるよりない、と結んでおられる。


と理論派である真部九段ならではの興味深い論考を行っている。

もちろん、創造派といっても升田と山崎七段とはタイプが全く同じというわけではないし、通算勝率が.669(459-227)、今年度の成績も.594(19-13)と高勝率を誇る(データは平成25年1月5日現在)山崎七段の中終盤力が他のトップ棋士に比べて決して見劣りするわけではない。むしろ「ちょい悪」の局面を辛抱し逆転する技術にも長けている柔軟で力強い将棋である。

ましてや、現代の将棋は升田の時代に比べれば、優勢の局面を「勝ち」につなげる技術は飛躍的に伸びているはずであるから、上記の理論をそのまま当てはめるのは妥当ではないかもしれない。

ただ、前例のない局面ーだれも足を踏み入れない荒野ーに新たな道を自分一人で切り開くのは相当な情熱とエネルギーを必要とするため、最終的に勝利を手にするためには人一倍の集中力の持続や精神的なスタミナが要求されるのだろう。

出来れば、山崎七段には今のまま頑張って精進を続け、人まねをせず創造性の高い将棋を指す「理想」とA級昇級やタイトル獲得という「現実」の両方を手にしてもらいたい。ただ勝つためだけになにがなんでも穴熊に組もうとする窮屈な将棋や90手を超える局面まで前例通りに進む研究将棋よりも、自分一人で新しい道を切り開こうとするその志は貴重であり、その創造性が将棋の可能性を今よりもずっと広げていくと思うから。


<1月8日追記>
上記の林教授の説が孫引きだったので図書館で原典を調べた。1993(平成5)年に出版された『囲碁の深層心理学』という本からの引用と思われる。専門のユング心理学の観点から囲碁棋士の深層心理を調べた興味深い内容だった。




米長将棋連盟会長が死去 69歳
将棋連盟会長の米長邦雄永世棋聖が亡くなった。
毎日jp

今年1月に自らが戦ってコンピュータソフトに敗れた第1回将棋電王戦では、白髪ではあったものの元気そうな姿だったが、先日の第2回電王戦の告知PVでは、まるで別人のようにやつれていたため体調を危惧していた。とはいえ、こんなに早く亡くなるとは思っていなかった。

69歳でのがんによる死は、奇しくも現役時代にタイトル戦で激闘を繰り広げた故大山十五世名人と同じ。大山も3代前の連盟会長である。連盟のトップというものは想像以上にストレスがかかる激務なのかもしれない。

米長を語る時に、棋士としての顔と連盟会長としての顔との2つの視点がある

棋士としての米長は最高だった。

中原ー米長の将棋が最高峰(加えて前時代のチャンピオン大山+重戦車加藤一二三の4強)の時代に将棋を覚えたものにとって、米長の将棋は痛快至極だった。たいてい序盤は不利になるが、そのまま押し切られることはなく、中盤に入ると妙な局面に誘導し勝負を混沌とさせる。そして相手が局面をもてあましているうちに圧倒的な終盤力で鮮やかに抜き去り逆転勝ちをおさめるー。泥沼流とは良く言ったもので、定跡形ではない力戦になると無類の強さを発揮した。弱いアマの私でもそんな米長の将棋に憧れを抱き、0.0001%でもその終盤力を身につけたいと、将棋雑誌や新聞に掲載されている米長将棋の棋譜をむさぼるように並べたものである。
将棋の強さに加え、弁舌は洒脱かつユーモアがあり、またエッセイ等の文章を書かせても上手く、とても本職が将棋指しとは思えないほどだった。
ただその頃から、タイトル戦で勝ったのを喜んだあげく、打ち上げの宴会で裸になったり(そして一緒に裸になるよう弟子の先崎に強要したり)、ヌードを週刊誌に掲載したりと、破天荒な言動はあったものの、それはかえって米長の勝負師としての一面をファンに強く印象づけ、「本物の棋士(=勝負師)とはそういうものだ」と納得させる範囲に収まっていたように思う。


しかし、連盟会長としての米長は(残念だが)正直言って功罪相半ばすると言わざるを得ない。

アイデアマンとしての才能は抜群で、アマチュアであった瀬川晶司のプロテストを興行として成立させて将棋界のPRとして利用したり、2007年にはコンピュータ将棋選手権優勝のボナンザと現役タイトル保持者の渡辺竜王との対決を実現させたり、(いろいろと批判はあるものの)毎日新聞単独開催だった名人戦を朝日新聞との共催にこぎつけたり…と、二上会長や中原会長時代にはとうていできなかったであろう事業を成功させる。
そしてなによりも最大の功績は、自身の命を削るように情熱を注ぎこんだ電王戦で、急速に力をつけ、今や棋士に肉薄するだけの実力を持つと言われているコンピュータソフトと現役のプロ棋士との対決を実現させた(対局は来年春だが)ことだろう。これは米長でなくてはできなかっただろうし、この興行によって連盟は少なくとも今後10年間は組織として生き延びることができるだろう。

しかし一方で、その言動はさまざまなところで軋轢を生んだ。
女流棋士が自立するように圧力をかけた件では、連盟の対応に反発した一部女流がLPSAとして独立し、結局のところ女流棋士は今も分裂したままの状態で連盟とのしこりを残している。また名人戦での共催の際の毎日新聞への対応も、世間の常識からみると失礼千万だと当時はかなり批判を受けた。
米長の才気煥発は誰もが認めるところではあるが、その舌鋒はともすれば鋭い刃になって周りを切り裂いてしまう。いち将棋指しであれば「勝負師の面白い一面」として許される言動であっても、組織の長ともなればその影響ははるかに深く、重く、そして時には世間からの厳しい指弾を受けるのである(もちろん米長自身もそれは重々承知のことだっただろうが…)。

米長は自身の才気をことさら世間に示したいという自己顕示欲が強く、特に会長という公職にあっては、それが悪い方に出てしまった感じである(だれか諌めるものがいれば…という気もするが、本人は他人の諫言など聞かないだろうから、いまさら言ってみても仕方がないことか)。時には、あふれる才気を抑え我慢すべき局面で我慢できなかったことが、彼の限界だったように思う。将棋では不利な局面を我慢して挽回することがあれほど得意だったのに、“社会”という盤面で、連盟会長という駒として動くことはいささか勝手が違ったか。



ともあれ、きらめく才能を見せつけながら、昭和ー平成という時代を駆け抜けた大棋士は、コンピュータと棋士が5対5で対決するという歴史的な舞台を準備し、そしてその結果を目にすることなく、天に召されていった。

合掌。



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